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物理性心理学から学んだこと ブログトップ

⑦女のコの『思い込み』考 [物理性心理学から学んだこと]

今日は女のコの思い込みについて考えてみたい。

  他の人はどうかしらないが、わたしに関していえば小学校に上がってからしばらく少女マンガを読みふけっていた。いろいろなジャンルがあるからいちがいには言えないが、共通に流れていたのは、最後にはやさしい王子様のような彼氏に巡り合う、ということのような気がする。

  わたしの場合、すっかりその気になっていた。信じ切って期待していた。洗脳されまくり(笑)だから、結婚してからはやさしい王子様よろしく、ダンナさんには期待でいっぱいだった。しかも自分のことは棚に上げて、である。こんな風だから、当然うまく行くわけがなかった。うまくいかなくても、「どうしてわかってくれないの?」という思いでいっぱいだった。自分を反省するどころか、相手に期待することばかり。。。相手だって自分と同じ人間。不満もあれば、怒りもする。寛容な人間なんてなかなかいない。やさしい王子様はやさしいお姫様にしか現れないことをわたしは知らなかったのだ。

 それでもわたしだけが例外というわけでもないらしいことは世の中の悩み相談を聞いていると自ずとわかる。誰しも女のコは相手に王子様を期待するのである。それはマンガや物語の中だけ、ということに気づかないから。相手に期待し、かなえられず、こう叫ぶ。「離婚よ、離婚!」 かく言うわたしもそうだった(笑)

 相手への不満はさがせば山のだけある。でも、それと同じくらい感謝もあるのだ。要は、どこに視点を置くか、ということなのだろう。

 

⑥日本人の『思いこみ』を考える [物理性心理学から学んだこと]

 今日は物理性心理学の観点から、自分なりに日本人の『思い込み』について考えてみました。

 前のブログを読んでいただけた方にはおわかりいただけると思いますが、私たちが判断材料にしている記憶は実はとてもあてにならないもので、ほとんど思い込みだったりする、と述べました。

 記憶が意外にもあてにならないものであることを知ると、物の見方が変容します。今まで自分が信じて疑わなかったことも本当にそうだろうか、と思うようになったりします。天外先生がおっしゃるには、正しい知識を持っているのとそうでないのとでは全く違うそうです。ただ、問題はその正しいと思っているものが果たして本当に正しいのか、ということなんですね。

 わたしは私たち日本人が生まれてからこの方どういう思い込みの上に自分の思考を重ねてきたのか、ということを自分なりに考えてみました。

 そこでひとつ思い当たったのは私たちが幼い頃から何度も読み聞かせられている童話についてです。外国の童話はイソップ童話などは、意味深長なお話が多いと思います。『旅人の上着を北風は脱がせられなかったが、太陽は脱がせられた。』とか、『犬が水辺に映った自分の姿を見て、そちらの肉も取ろうと吠えたら今噛んでいる肉を水の中に落としてしまった。』とか。

 一方、日本の童話の共通点は何でしょうか。そこに流れているのは勧善懲悪の思想だと思います。いいことをしていたおじいさん(なぜかおじいさんが多い)は最後には努力が報われたり、お金持ちになったり、幸せになったりします。反対に狡い人や欲張りな人、意地悪な人は懲らしめられたり、悪い結末が待っています。

 人間誰しも、いいことをしていたら、いい未来が待っていると信じたい。悪い人よりいい人により幸せになってもらいたいと願うのも人情だと思います。

 確かにいいことをしていたら、他人からも好かれるし、信頼も得られ、重んじられたり、困ったときには手をさしのべてくれることも多いことでしょう。でも、たとえばいい人は災害に巻き込まれないか、というと、けっしてそうではありません。津波がいい人を避けていく、なんてことはないのです。

 いいことをしていても悪いことは起こる。悲しいことにも理不尽なことにも出会う。それが人生であると思うのです。そういうとき、人は往々にして「なんで・・・?」とつぶやきます。

 人生には意味のないことはない!なんていう人も中にはいますけど、でも人生には理由のないことだってたくさんあるとわたしは思うのです。

 いいことをしたって、いい人生になるとはかぎらない、だからいいことなんかする必要はない、などと言うつもりは毛頭ありません。ただ幼い頃聞いた昔話のようにはならない、ということだけは心の隅っこに置いておくべきではないかと考えます。

 物理性心理学では過去と未来はなくて現在(もっと正確に言えば、この一瞬)しか存在しない。タイムトラベルのドラマを観ていると、ついつい錯覚してしまいそうになりますが・・・。実際には過去は記憶のデータ、未来は期待と予想のデータなそうです。なるほど、と思います。

 そう考えると、仏教ではないですけれど、『今ここ』を大切に重ねていくしかないのだとしみじみ思う今日この頃です。同時に、自分が今までいかに『今ここ』をテキトーに生きてきたかを省みるとき、自分が情けなくて仕方がなくなるときがあります。

 にんげんは(動植物もそうだと思いますが)ひとたび生まれたらずっと先に死があるのではなく、常に平行して生と死がある、アルボムッレ・スマナサーラ氏は「死なないから生きている」と表現しています。生と死が常に並んであると思うとき、人は本当に一瞬一瞬を大切に愛おしく生きられるのではないでしょうか。
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⑤久しぶりに 物理性心理学♪ [物理性心理学から学んだこと]

 物理性心理学の大事なところをまだ話していませんでした。

 世の中には数多くの理論やアドバイスはあれど、ヒトは実感が伴わないと心から納得しないものです。

 物理性心理学のスゴイところは、ひとつひとつ実験で確かめられるところです。その実験は体感(カラダをつかった実験)です。言葉や思い、動作などがカラダにどう影響を及ぼすかすぐ確かめられます。宇宙のパワーとつながると不思議な力がみなぎるんですね。これには本当にびっくりします。セミナーなどに参加すると驚きと感動の連続です。

 わたしたちはもともと無意識で生かされています。心臓を動かそうと思わなくても、血液を全身に流そうと思わなくても、瞬きをしようと思わなくても、ちゃんとやれて生きています。

 実はふだんのひとつひとつの行動も意識→無意識に移行しているからできるのだということです。たとえばコップの水を飲む動作でも飲むという意志があって、動作し始めると、あとは無意識に手が勝手に動き、コップの大きさに合わせてつかみ、ほどよい力で持ち上げ、間違いなく口元に運び、ほどよく傾ける。これは実はスゴイでしょ???力が余ってコップから水が飛び出したり、口でなく目に持っていったりしませんよね。ロボットを作っている人にとっては、手の動きがいちばんむずかしいそうですが、ヒトは難なくやり遂げてしまいます。

 階段を下りる動作だって、スゴイですよね。どんな階段でもその高さに合わせて、ちょうどよく足を下ろすわけですから。

 この意識→無意識の移行がうまくいかず、ヘンに意識しすぎたときって、動きがぎこちなくなりません?開会式の行進で右手と右足がいっしょになるようなこと・・・(笑)

 物に執着してるときって、無意識の領域に行かないんだと思います。常に意識して、しがみついているわけでしょう?まさに『我』ですよね。キリスト教でも「願いは一度願えばいい」というような言葉があるんだそうですが、なんかわかるような気がします。

 ついでに言っておきますが、「~したい」という願望は意志とは全く違うそうなのです。ま、確かに「~したい」と願っただけでその通りになるなら、ある意味おそろしいことですよね。世の中の秩序が保たれなくなりますものね。「ケーキを食べたい!」といくら願っていたところで目の前にケーキは現れません。「ケーキを買いに行こう!」という意志がはっきりして、行動をおこし始めたら、もうケーキが食べられるのも間近です。

 そういう意味で考えてばかりいないで、まず一歩踏み出すことがとても大切なことなんですって(o^-')b☆

 

 
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④『思い込み』について [物理性心理学から学んだこと]

 自分で言うのもなんだが・・・自分はどちらからというと偏見の少ない人間の部類に属すると思っていた。物理性心理学を学ぶまでは・・・。

 ところがどっこい、自分は偏見だらけの人間だということに気づいてしまった。


 わたしたちの日常生活をスムーズにしてくれている記憶。でも、この記憶には大きな落とし穴があった。

 わたしたちは記憶データを参考にしながら今を生きている。記憶をもとに、これはこう、それはこう・・・と物事を捉え、判断し、行動している。

 世の中のほとんどの争いごとは、自分が正しくて、相手が間違っている。間違っている相手が許せないというところから始まる。

 でも、自分が判断基準にした記憶は果たして本当に正しいのだろうか。

 夕べの夕食に何を食べたか?思い出すことができるだろう。では、1週間前は?1ヶ月前は?1年前は?と辿っていくと、ずいぶん記憶というのは不確かで曖昧なものだとわかるだろう。

 そうなのだ。自分が正しいと信じて疑わないその記憶こそ、実は全く当てにならないものだったのだ。

 10歳まで住んでいた町の中心部に小高い丘があり、そこに神社があった。昨年訪れる機会があり、行ってみた。自分の記憶と全く違って、それはそれはちっちゃな低い丘だった。それでも、わたしは自分の記憶が正しいはずで、後年その丘は削られでもして低くなったのではないか?と自分の記憶が正しいことを信じ通したかった。終いには主人に「10歳の頃なんだろう?そのころの背丈や目線で見たのと違うだろ?」と言われ、しぶしぶ認める始末。

 自分の記憶に強く残っているものーそれは単なる事実データではなくて、強い感情をつけて、何度も反芻してきた記憶なのである。つまり、『思い込み』だ。まさに色即是空である。

 思い込みは個人のものだけではない、土地柄や時代、世代・・・国単位のものだってある。その時代にだれもが信じて疑わなかったことが、後々になって全くの思い込みであったとわかったりする。

 思い込みなのに真実だと思ったりするから混乱がおきる。

 自分が感じていることの多くは思い込みなんだとわかるようになってから、さすがに自分もいくらか謙虚になった。「なんてったって、わたしが正しい!」とは言えなくなったのだ。

 また、相手に対しても寛容になれる。「あぁ、この人はこういうふうに思い込んでいるだけなのだろう」と思えば許せる範囲もおのずと広がるからだ。

 それから、はっきりしないことでああでもない、こうでもないと悩むことをわたしはやめることにした。             to be continued

 
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③長年の肩こりが治った! [物理性心理学から学んだこと]

 物理性心理学を学んで、まずよかったこと。それは長年悩まされてきた肩こりとおさらばできたことである。

 わたしは長年ひどい肩こり症で苦しんできた。

 すぐに肩がバンバンに張って、首筋までこる。終いには頭痛と吐き気で寝込む。そうなると家族もとりつく島がない。そんな生活を何年も何十年も続けてきた。おかげで整骨院の先生とはすっかりお友だちになってしまった。。。月に何回も行くからだ。

 それが物理性心理学を習ったら、1日で治ってしまった。催眠術でもなんでもないのに、全くフシギとしか言いようがない。考えてみれば、いつも肩こりを心配していた。自分は肩こり症だと信じ切っていた(笑)窮屈な服を着ると肩がこるんだよな~、こんな細かい仕事をしたら肩がこりそう・・・、人と会って緊張して話したら肩がこる・・・、という具合だ。まさに、自分(たぶん前頭葉?)で生み出していた肩こり。乗り物酔いと似ている。。。

 今はまったく肩こりに意識がいかなくなってしまった。たまに気づくと少々こっているときがある。でも、いつのまにか治ってしまう。

 気の毒なのは整骨院だ。わたしのような大のお得意さんを逃してしまったのだから・・・(笑)

 
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②エネルギーは波 [物理性心理学から学んだこと]

 物理性心理学を打ち立てた蔵本天外先生は講演などでいつも冒頭に「エネルギーは波だ。」と話す。最初の頃は何も分からないし、ただ「ふ~ん、そうなのか・・・」で終わっていた自分だが、実はとてもとても大事なことなのだと近頃思う。

 海の波は寄せては返し、返しては寄せ・・・。天気も雨が降って、曇って、晴れて・・・。晴ればかりは続かないし、雨ばかりも続かない。

 人生にも浮き沈みがあるし、気分にも体調にも波がある。

 波だ、と知っているのと知っていないのでは大違いだ。知っていなければ、上がったときには有頂天になり、下がったときにはがっかりして限りなく落ち込む。知っていれば、、上がってもいつまでも続かないことは予想できるし、下がったとしてもまた上がることが期待できる。

 わたしはどうしようもなく下がっても、このごろは楽になった。こんなに下がっているということは、次によほど大きな上向きの波がくるぞ~、と信じられるようになったからだ。果たして・・・実際そうなる。

 「波に乗る」という表現があるが、波にはみんな乗っかっているのだ。ただ、波のベクトル(言い方が正しいかどうかわからない)を上に角度をつけるか、下に角度をつけるかだけの違いなのだ。

 最近、わたしは雷雨を伴った土砂降りのときは無理して飛び出さず、待つことにしている。もちろん急を要するときは別だが、小降りになるまでじっと待つ。

 エネルギーが波であれば、ときにはじっと待つという姿勢が大切なのだと思うのだが、今の時代は待つことをよしとしない時代なのかなと思う。

 「エネルギーは波だ」と思っていろいろな物を改めて眺めると、今まで見えていなかったものが見えて、実に興味深い。     to be continued
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①宇宙ってすばらしい!人体は小宇宙 [物理性心理学から学んだこと]

 人生いろいろあって、まさかというようなしんどいことに近年出会って、そこから何とかして抜け出そうともがいた。

 勇気を持って一歩踏み出すと、また新しい、自分の知らなかった世界が開けていて・・・。

 『物理性心理学』というものに出会った。今はまだたくさんの人には知られていないかもしれない。でも、将来誰もが知っている時代がやってくるのだろうと思う。

 人のココロと物はちがう!と言いたい。そうであってほしい!と願う。でも、ヒトだって広い意味では物の一部にすぎない。だから物に言えることはヒトにも当てはまる。

 慣性の法則だって、作用・反作用だってその他いろいろココロにも当てはまる。物理の面からココロを解析したのが物理性心理学だ。

 わたしがこの物理性心理学に出会って、まず大きかったことは宇宙のすばらしさを知ったことだ。中学・高校と理科(科学)がいちばんきらいで苦手だった。でも、今は理科がいちばんおもしろいと思う。教師との巡り合わせがツイてなかったと思う。太陽の表面温度が6000℃であるというような知識情報だけでなく、宇宙の不思議やすばらしさをおしえて欲しかったと思う。これからの先生たちにはぜひ熱く語ってもらいたい。
 
 宇宙ってほんとうに不思議ですばらしい!あまりによくできている。地球ってすごい!人体ってすごい!って心から思ったとき、初めて自分も「かけがえのない自分」なんだってことが分かった。

 「かけがえのない自分」言葉ではよく言うよ。聞くよ。でも、どこかでホントかな?って実感がなかったのが正直なところ。実感をもてない人が話したって相手に伝えられるわけがない。

 今だったら自信を持って言える。「わたしもあなたもかけがえのない唯一無二の存在だよ、」って。「だから、自分を大切にしよう!」って。                      to be continued
 
 
タグ:心理学
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